パク・ボゴム主演、ヒロインをキム・ユジョンが務め同時間帯の視聴率No.1を独走した『雲が描いた月明かり』
大人気の韓国時代劇となりましたがパク・ボゴム演じたイ・ヨン世子(セジャ)の歴史上のモデルはどんな人物だったのでしょうか?
ドラマ内ではどこまでが史実かご存知ですか?✨
雲が描いた月明かりの歴史上のモデルとドラマと歴史の史実の違いを調べてみましたよ♪
目次
雲が描いた月明かり歴史上のモデル
パク・ボゴムさんが演じたのは朝鮮の23代王純祖(スンジョ)王の息子イ・ヨン世子でした。
実際のモデルになったと言われているのが孝明(ヒョミョン)世子(セジャ)です。
キム・ユジョンさん演じるラオンに『私の名前はイ・ヨンだ』と伝えるシーンがありましたが、ドラマ内で使っていた『イ・ヨン』という名前は架空の名前なわけではありません。
孝明世子の諱(いみな)、英語だとtrue name(直訳すると「真の名」)にあたるのが旲(ヨン、영)なんだそうです!
李氏朝鮮の世子なので名字にあたるのが李(イ)、諱(真の名前)が旲(ヨン)になるので孝明世子の名前は『李旲(イ・ヨン)』で歴史と同じだったんですね♪
イ・ヨン世子が孝明世子と呼ばれている理由とは
李旲(イ・ヨン)というのは本当の名前なのに、なぜ孝明(ヒョンミョン)世子と名前が変わっているのかというと孝明というのは諡(おくりな)、諡号(しごう)というもので地位の高い人が亡くなった後に贈られる名前(贈り名)だからなんです。
これは生きている時の周りからの評価を表しているのだそうで、畏敬の念もこめて孝明世子と呼ばれているのでしょうね。
孝明世子(イ・ヨン世子)の画像や性格は?
画像引用:Twitter
こちらが孝明世子を描いたとされているものです!
凛々しくて男らしい姿はイ・ヨン世子を演じたパク・ボゴムさんにも似ている感じがしますよね✨
1812年若干3歳にして世子となり8歳で朝鮮最高学府と言われた成均館(ソンギュングァン)に入学した、とても聡明な方でした。
ドラマ内のイ・ヨン世子もよく世子専用の書庫にいましたが史実の孝明世子もとても読書の好きな人だったのだそう。
ドラマ内でイ・ヨン世子が王の代わりに代理執政をすることになりましたが、これも事実です。
実際に18歳から代理執政をしていたそう。
ドラマ内のようなやり取りがあったかは分かりませんが、とても賢く頭の回転も速かったようなので本当のイ・ヨン世子も同じように足を引っ張ろうと企む重臣たちを黙らせるような方法で王命を受けたかもしれませんね!!
孝明世子(イ・ヨン世子)はとても妹想いの優しい兄だった
ドラマ内でも妹達が出てきましたね。
ドラマでは妹が変な男に騙されているのではと文通相手のフリをして待ち合わせ場所に来ていましたが、実際の孝明世子もとても妹想いだったという資料が残っているそうですよ✨
先ほど読書が好きだったと紹介しましたが文才もとてもあり、自然に対しての詩を多く残した一方で、妹と過ごした日々を詩に残した『思妹氏(サメシ)』という詩集まであるほど…!!
タイトルから既に妹愛が溢れている感じがしますよね!
聡明で賢く、次期王としてしっかり勉強をしながら妹も大切にする心の優しい人だったのでしょうね。
孝明世子の家族構成は雲が描いた月明かりと一緒?
ドラマ内と同じく歴史上でも朝鮮の23代王純祖(スンジョ)王の息子でした♪
純祖王には正室、純元王后 金氏(じゅんげんおうごう キムし)、側室、淑儀 朴氏(スギ パクし)がいましたが正室の純元王后 ・金氏(じゅんげんおうごう キム氏)が生んだ長男でした。
しかも148年ぶりに王の正室が生んだ男の子だったのだそう!
ドラマ内ではラオンに花若様と呼ばれていた時もありましたが、本当に蝶よ花よと大切に育てられていたのだと思います。
本当の孝明世子は5人兄弟!
画像引用:公式サイト
ドラマ内ではミョンウン(明温)王女という妹登場しました。
実際には次男と妹が3人がいたようです。
ドラマ内のミョンウン王女は長女です。
明温(ミョンウン)公女・福温(ポゴン)公主・徳温(トゴン)公主という3人の実の妹と側室の生んだ腹違いの妹、永温(ヨンオン)翁主と続きます。
※公女は王の正室の子供、翁主は王の側室の子供です。
次男は早くに夭逝してしまっているので詳しい情報は残っていませんでした。
“4人の妹がいた”とされることもあるようですが、現在では妹は“3人”で夭逝した子は男の子だったと見られているそうです。
優しい王妃…という訳ではない?世子の母
ドラマ内では早くに亡くなって世子に烘雲拓月(こううんたくげつ)のような人になる事を託した亡き王妃。
実際は世子の継母として登場した中殿キム氏のような出世欲溢れた王妃だったようです。
つまり史実では中殿キム氏=王妃です💦
中殿キム氏の父親として領議政キム・ホンが出てきましたがこの方が王妃だった純元王后 金氏の父親。
実際に王宮には母の血筋である安東金氏(あんとうキムし)ばかりになっていたようです。
ドラマ内でも重要な役職や重鎮はキム氏ばかりでしたよね💦
8歳の孫が王に即位すると代わって政治を行っていました。
金氏が政治を牛耳り、頭を悩ませた純祖王が力を抑える為に趙氏(チョし)の娘を孝明世子の妻にしたというのは史実の流れと同じだったようです💦
純祖王が息子を思う父だったというのも一緒ですね!
雲が描いた月明かり本当の史実との違いとウェブ小説最終回との違い
画像引用:公式サイト
趙萬永(チョ・マニョン)の娘とは離婚していない
ドラマではイ・ヨン世子の世子嬪(セジャビン)となったチョ・ハヨンはラオンを想い続ける世子の側を離れましたが史実ではそのまま世子嬪を続けています。
結婚したのは世子が11歳の時だそうで驚きました!!
ドラマと同じく政略結婚ではありましたが世子が18歳の時男の子も生まれています!
イ・ヨン世子は王にはなっていない衝撃の理由
ドラマでは王になったイ・ヨン世子ですが、実際には代理執政をしていた21歳の若さで亡くなっています。
理由は分からないそうなんですが、負担からのストレスとも毒殺とも言われています。
この時代の世子の多くが変死や毒殺されていたことを考えると毒殺の可能性が高いようです…。
実際ドラマでも毒を盛られハヨンが気付いて止めているシーンがありましたよね💦
ドラマのように安東金氏側の暗殺説が根強いのですが、そうすると母親の純元王后 金氏が息子の暗殺を容認するでしょうか…?
とはいえ、孝明世子に趙氏の娘が嫁いで実家の権力が弱まったことに酷く落胆していたそうなので無きにしも非ず…?
我が子を手にかけてまで権力を取ったとは考えたくないですね…。
ドラマ内の中殿キム氏はそんな感じでしたけど…。
王になったシーンを入れたのは『王になっていればこんな王になっただろう』という周りの強い想いからだと思いますが、それほど亡くなって惜しまれた世子だったということなんだと思います。
死後、翼宗(イクチョン)という王の名前をもらっていますが、これはハヨンの生んだ男の子憲宗(ホンジョン)が8歳で王に即位したから。
王になれなかった世子は子供が王になると繰り上がりで王という立場になるんですね。
勉強になりました!
雲が描いた月明かりのウェブ小説最終回とドラマ最終回の違い
画像引用:Twitter
元々ウェブ小説からドラマ化されたものですが、ドラマの最終回は世子とラオンの幸せそうな姿で終わりましたね!
ウェブ小説の最終回はドラマとも史実とも違っていました!
ドラマ内で毒殺されかけるシーンがありましたが、ウェブ小説だとそのまま世子が亡くなったことにして世子を王宮から出しラオンと2人で暮らしたというラストなんだそうです♡♡♡
それもまたいいなぁ…♡
ただそれだと絶対あり得ないファンタジー要素が強くなり過ぎてしまいそうではありますが💦
実際には王になることのなかったイ・ヨン世子が王になったらこんな王様だったんだろうなと希望の感じる終わり方でしたので終わり方はベストだったのかもしれませんね!
孝明世子(イ・ヨン世子)へのネットの声
韓国ドラマ『雲に描いた月明かり』に出てくる
イ·ヨンこと考明世子(효명세자)。22歳の若さで亡くなられたのですね!
ドラマのイ·ヨンもイケメンだしたが、実在の
イ·ヨンもイケメンですね❣️ イ·ヨンの考える新しい朝鮮が実現してたら、民はどんなに幸せだったでしょうね
(*^^*) pic.twitter.com/KJ3Y8Svvm7— yuzu_kan (@rei_0327) October 22, 2017
『雲が描いた月明り』の主人公として孝明世子(ヒョミョンセジャ)は韓国でも知られるようになった。拙著「いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史」でも彼の人生を取り上げているが、本当に魅力的な人だ。21歳で早世したことが惜しまれるが、パク・ボゴムが演じたことは本当に良かった。 pic.twitter.com/ZFe5qc7gkq
— 康熙奉カン・ヒボン (@kanghibong) November 6, 2018
王様になったらどんな朝鮮王朝になったのでしょうか✨?
純祖王以降の朝鮮王朝は混迷し、かなり酷い状態だったようなのできっとそんなことにはならなかったのではないかな?と思いました。
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現在の世界に見事に蘇り、イ・ヨン世子の人柄はきっとこんなかんじだったんだろうな♪と思いを馳せることのできる名作『雲が描いた月明かり』
読んでいただきありがとうございました!
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